学生だった頃の話
今日は父親方の祖母の七回忌でした。
あれから七年も経つのか~としみじみ過去を振り返ってみたり。
まあ七回忌とは言っても親戚が少ないので、墓参りとお寺での行事を済ませ、その後食事をして帰ると言うシンプルなものでしたけどね。それにしても早いもんだね、祖母が亡くなってから七年ですから。七年前って言ったら、今年を29と換算すると22歳でしたからね。
その帰り道、車の中から学生たちが歩いている姿を見ました。俺は高校卒業後は専門学校へ進んだので、19歳で学生は終っています。そう考えると学生を終えて今年で10年と言う事になる。そっちも早いな~なんて思ったりね(笑)
学生は学生で大変だよな。受験とかあるし。そう言えば俺の学歴とか、学生時代の話ってブログでした事無かったですよね。今日はちょっとそれについて書いてみますか。
俺に取って学生と言う立場での最初の転換期は中学生でしたかね。中学3年でグレましてね(笑)今思うと何がきっかけで不良になったのか良く覚えていないんですが、正直言って良い生徒では無かったです。今は普通ですけど、当時は普通じゃなかったと言うかね。俺が中学生だった頃はまだ「不良」とか「ヤンキー」とか言う死語が使われている時代で、学区内での縄張り争いなどが盛んでした。今と比べると暴走族も多かったですし、チーマーと呼ばれる、一種の不良集団もありました。その一方ではそんな不良どもが音楽をやり、風貌も過激な「パンクス」と呼ばれるグループもあって、俺はどちらかと言うとこの「パンクス」と言うグループに属するタイプだったと記憶してます。
まあとは言え当時から一匹狼だったので、あまり集団で事を起こすようなタイプでは無かったけど(苦笑)そうなると当然の事ながら勉強なんかしないわけですよ。「勉強する意味が分からない」とかほざいていたと思います(笑)今思うとバカですよね~。
リアルで俺を知っている人なんかはよく「頭良さそう」とか仰るんですが、当時の俺は正反対で頭悪かったですよ。5段階評価形式で「3」が一つでもあれば、もはや奇跡でしたからね。他は「2」と「1」のオンパレード。「4」とか「5」なんて数字は神様しか与えられない数字だと思ってましたから(笑)
本だって全然読んでませんでした。やっていたのは「偉そうに吠える事」と「破壊行為」のみ(苦笑)事あるごとに破壊して、母親が学校に呼ばれることなんか日常茶飯事でしたね。今思うと「すいません」と言う恥でしかないんですが。
勿論「受験勉強」なんてしませんでした。その結果担任から言われた一言が
「高校、行く場所無いよ」
そんな一言でした(^^;)
俺の成績では行ける高校が無かったんです。まあ当然ですよね、学校内でもケツから数えた方が圧倒的に早い成績でしたし、出席日数もギリギリで、都立、私立共に行く場所が無い。そうなるともう行く場所は一つ、「専門学校」です。
行く宛を失った若き日の緋水少年は、親のスネをかじり、そしてそんな親の金に物を言わせて専門学校へ!(偉くない)
この専門学校がまた悪の巣窟のような学校でね。昔週間少年マガジンだったか、サンデーだったか「特攻の拓」と言う暴走族の漫画があったんですが、その特攻の拓に出てくる学校のような学校だったんですよ。もう生徒の10割が不良か暴走族と言う(苦笑)
おまけにその学校の環境が刑務所のような環境でして(汗)
在任の教師は教師と言うよりも「教官」のようなオーラがありましてね。信じられます?学校そのものがフェンスで囲まれているんですよ。しかもそのフェンスがかなり高い。4メートルくらいはありましたかね、そんな学校だったんです。
もう酷いもんでしたよ、体罰なんて普通にありましたからね。中学時代は成績が下のほうだったのに、その学校内では俺でも成績優秀なランクに属する事が出来たくらいですから。どんだけ頭の悪い連中なんだ!って話ですよね(笑)
その後3年間なんとか通い、俺の反抗期は高校3年で終りました。18歳ともなるとさすがに将来のことを考え始めるんですよ。「いい加減金髪で不良やってる場合じゃないよな」と思うようになりましてね。ある程度はこの時期に落ち着きました。
そして高校を卒業して後楽園にある音楽の専門学校へ進みます。
音楽が好きでしたし、当初は「音楽ジャーナリスト」になるのが俺の夢だったんですよ。この頃から活字を扱う世界を視野に入れていたわけですが、この音楽の専門学校を2年間通った中で得たのは、とても美しい音楽の世界ではありませんでした。セールス、売れ線、ビジネス。芸術の結晶だと思っていた音楽が、自分と同じ人間の手によって金に返られ、取引されている。俺に取って音楽は不動の絶対的な存在です。だから耐えられなかったんですよ、自分の好きな音楽が汚されているみたいでね。音楽の世界で生きる事を断念しました。俺に取っては最初の挫折でしたね。
その時思ったんですよ「一番好きなものは一番好きなものとして、綺麗なままで取って置くべきだ」とね。そして同時に「それじゃ2番目に好きなもので勝負しよう」と。
それから専門学校を卒業して、その「2番目に好きなもの」、つまり「物書き」を発見するまで5年も掛かりました。この5年間はさすがにちょっとしんどかったですよ。なにせ「やりたいことが見つからない」と言う状況でしたし、この5年の間で結婚と離婚を経験してますんでね。
それで今に至ると言う経歴です。
とにかく俺の場合は何かにつけては紆余曲折で、ねじれねじれての道程でした。よくもまあ29年間もやって来れたもんだなと、自分でも感心しますよ。「人の死」については省いたので、それを含めるともっと濃厚な経歴になりますがね。
たまに思います「ロクな過去が無い」と。
でも同時に思いますね
「ああ、こういう過去だったから今の俺があるのか」と。
つまり自分に取っては全て必要な出来事だったんだな、と。
だって不良と呼ばれた過去の俺から
今では不良とはかけ離れた「作家」を目指す始末です。
人間、どこでどうなるかなんて分からないもんですね。
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コメント
ねじれねじれた人生のほうがおもしろいと思います。
まだ中3の自分が何を偉そうにという感じですが・・・・。
自分みたいにずっと「まじめ」を歩んできているよりも
いろんな道を歩んできているほうがなんとなくお得な気がしますw
人間どこでどうなるかわからないというのは
本当にその通りだろうと思います。
昔は絵を描くのが大っ嫌いでしょうがなかった自分も
いまでは逆に絵を描かないで生きていくことは不可能になっていますからね 苦笑
何で昔の自分はこんなに楽しいことを嫌っていたんだろうか…。
人生損しちゃってるじゃないか・・・・
なんて
思うことも結構あります。
・・・・・・・・・長レスすみませんでした…m(_ _;)m
投稿: memes タテ | 2009年2月 2日 (月) 19時14分
memes タテさん>
遠回りしている人生のほうが深みが出ますからね。それだけ人間的にも経験豊富な人間になります。
例え昔は避けていても、数年経つとなぜか好きになっていたり、結局やっていたり、そう言うことって結構有ると思います。人生楽しむためには、やはり経験ですね。
投稿: 緋水 | 2009年2月 2日 (月) 22時25分