自分の中で二面性を感じる事が多い。まあ人は誰でも善と悪の顔を持っているので、そういう意味では誰もが二面性を持っていると言えるんだろう。ただ人によって差があるのも事実。俺の場合は自分の二面性に危機感さえ感じるほどの、強烈な面であることが最近分かりつつある。
それが分かったきっかけは先月の初頭に起こった。一体どんな事だったのかについては、あまり触れたくないので詳しくは書かないが、そのきっかけによって自分の中に、確実な二面性があると判明した。今まではその事について、いちいち考えなかったし、何より恐怖など感じなかったのだが、今回は今までとはちょっと違う。感じたのは巨大な悪の塊だった。
今年で29年目を迎える自分なのだが、29年と言う時間の中で様々なものを学び、成長してきたと思っている。これは胸を張って言える事だし、自分に取っては誇りだ。特に結婚~離婚を経験してからはかつてないほどに強くなったと思っているし、人間的にもちょっとは深みが増したかなとも思う。でも先月の件で「悪の部分は全然変化していない」と言う部分が見て取れた。
と言うよりもそれは「自分にそんな一面があったのか」と思えるほどの暴虐ぶりだった。今まではそれを抑えていたと言う事もあるとは思うのだが、まさかそれを具現化するとは自分でも想定外でね。誰でも二面性がある・・・それは分かっていた。だけどここまで側面が違う二面性だとは正直想像もしなかったのだ。「若干違うかな」程度しか思っていなかった。だからこそ「それが人間だ」と思えたし、そういうもんだと納得することが出来た。
ところが自分の二面性、その二つ目の自分がどんな姿なのかを知って以来、俺は自分に恐怖すら感じるようになった。自分でもまさかここまで暴虐な人間性だとは思っていなかった。不快感を感じた先月の件に関して、嫌だなと思うよりも「まさかそんな自分が居たとは・・・」と言う衝撃の方が大きかったなんて、笑えないね。
考えてみると俺はA型なのだが、親友はB型なのだ。本来A型とB型は「天敵」と呼ばれる関係で、親しくなる事はまず有り得ないといわれるほどの血縁関係下にある。もしかしたら親友は純粋なB型ではないかも知れない・・・・そう思って彼に聞いてみると、彼の父親はO型だった。なるほど、それでかと、納得した。でもその日の夜、意外な事実が判明した。
その夜、母親と何気ない会話の中で、亡くなった祖父の血液型の話になった。俺は性格的に母親とそっくりであり、俺をそのまま女にしたのが俺の母親になる。性格的には父親には似ても似付かず、自分は母親方の血が多いんだと幼い頃から思っていた。それでも母親はA型だし、母子手帳にはちゃんとA型と書かれている。そこで母親は意外なことを口にした。
「死んだ私の父はAB型だったのよ」
自分は母親方の血縁に近い。亡くなった祖父がAB型だと知ったとき、直感で思った。「ああ、俺はAB型に近いA型なんだろうな」と。母親も俺の発言には反論しなかった。多分俺の中にB型気質の性質がある事を見抜いていたんだろう。だから反論しなかった。それから生前の祖父の考え方や行動などを聞いて行くと、まるで自分の事を言われているほど俺とそっくりだった。一般的にAB型は全ての血液型の中で最も二面性を持っていると言われている。これで亡くなった祖父が自分と似ていなければこの結論は覆すことが可能だが、そっくりである以上、もはや疑いようが無い。
確かに言われてみれば、祖父が亡くなり、その後に祖父の話を聞いた時に「なんだか自分に一番近い人ではないか?」と思う事があった。そう言う意味では「もっと話をしておけばよかった」とか「どうして亡くなったからそう言う事に気付くんだよ」と、悔やむ気持ちもある。でも亡くなってしまった今では遅い。祖父が亡くなってからもうずいぶん経つ。来年で13回忌だったかな、確かそのくらい長い年月が経っている。それだけの時間が経過してこんな事を感じるってのも、なんだか人生だな~と思う。
不思議と亡くなった祖父に関しては今でもハッキリと顔や行動、持っている雰囲気などを明確に思い出すことが出来る。
そしてこんなエピソードがある。
今から10年ほど前、ちょうど車の免許を取るために教習所に通っていた頃の話なんだが、その日仮免許のテストを受けるために教習所へ向かっていたんだが、その途中で俺は事故に合った。事故の規模は小さくて、出会い頭に車と接触したのだが、幸いなことに相手の車の速度は10km程度だったので軽症で済んだ。その時俺は偶然亡くなった祖父の形見である腕時計をしていたのだが、事故の後、その腕時計が忽然と無くなってしまったのだ。車に轢かれてボンネットに乗り上げたときにはちゃんと腕にあった。救急車で病院に運ばれたときもちゃんと腕にあった。それはちゃんと記憶しているのだが、その後無くなってしまった。自分でも何処へ行ったのか未だに分からなくて、今も見つかっていない。
軽症で済んだのは、死んだ祖父が助けてくれたんじゃないか?その代償としてあの腕時計が犠牲になった・・・・あの腕時計をしていたから、祖父が近くにいて、あの程度の事故で済んだのではないか?そう思えてならない。
激しい二面性の差に悩む事がある。何故こうも落差があるんだと思うこともある。暴虐で残酷な一面なのだが、それでも祖父と近い「AB型に最も近いA型」であるなら、なんだか嬉しくもある。今だから思うんだろう。多分亡くなった祖父はこんな酷い世の中で「尊敬」に値する人だったのではないか?と。生前、祖父ともっと話が出来ていれば、祖父は俺に何を言ったんだろう。是非とも聞きたかった。何故かは分からないが、それは俺に取って凄く貴重な話だったように思えるから。聞けなくなった今となっては残念としか言い用が無いけど、多分そういうもんなんだろうね。大切なことだったと思う。それを聞くことが出来なかった。でもそれをずっと残念だと思うのではなく、自分で見つければそれで良い。
何となく見守られているような気がするのは
「気のせいだ」とは言いたくないね。
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