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2009年7月10日 (金)

スーパースターの死

ども、久しぶりになりますな。

この時期になると古傷が痛み出す緋水でございます。現在水面下で活動中です。

学生時代にやはりこの時期に足を怪我したのですが、その痛みが今の時期になると疼き出すんですよ。困ったもんでね、カッコ良く言えば「古傷の痛み」ですが、「歳か?」とも言えるので、なんともビミョーな感じですね(笑)

さて、約一週間ぶりになりますかね。別に何かしていたわけではないのですが、ここのところは結構忙しくしてましたね。そうそう、夏のボーナス、我が社ではちゃんと入りました。ただ昨年と比べると金額は下がりましたけどね。まあその辺は仕方ないです。このご時世ボーナス無しと言う会社は珍しくありませんからね。このボーナスは愛車のカスタム費用で消えますけど(^^;)

さて、先頃亡くなったアメリカのスーパースター、マイケル・ジャクソン氏。生憎俺はリアルタイム世代ではないので、彼をイメージするものと言えば「スキャンダル」しかないんですよね。今日はこのスターの死について語ってみようかと思いまっす。

日本で言えば尾崎豊氏と似てますね。亡くなってから改めて評価される風評。最も尾崎氏とマイケルジャクソンとでは比較にならない知名度だが、亡くなってから大きく取り上げられたり、セールスが上がると言うのは皮肉な話だよね。アメリカ全土を巻き込んでの騒動に発展したわけだが、それにしてもたった一人の人間の死が、ここまで大きな社会現象を巻き起こすと言うのは、別の角度からみれば「恐ろしい」とも言える。

好きだった人が死んでしまうのは悲しいし、その時の衝撃は計り知れない。日本で言えばX-Japanのhide氏がそうだったように本人が亡くなった後に後追い自殺をした人が何人かいたよな。好きになることは良い事なんだが、心身ともに崇拝するような思考と言うのはどうだろうかと思う。幸いなことにマイケルを追っての自殺はまだ聞かないけど、変わりに親権問題がどうとか、遺産相続の問題とか持ち上がっているでしょ。スーパースターだったわけだから干渉されるのは避けられないが、そこまで報道するのも問題だなと思うね。

憧れたり好きになるのは結構な事だが、それだけしか目に入らないような状況になってしまうのは間違っているよね。特に今の世界的な情勢や規模で考えても、何かにすがるような事をしているとロクな事が起きない。ある程度自分を確立させて置かないと、本来の自分の良さって消えちまうような気がするよ。

偉大なる人間の死ってのは、死そのものに大した価値は無いように思う。それよりもそんな人間亡き後の時間をどんな人たちがどうやって過ごすのか、こっちの方に大きな課題があるように思う。

たった一人の人間の命なんて宇宙規模でみたらカスみたいなもんですよ。言い換えれば人生と言う時間だって宇宙規模で見たら一瞬だと思うしね。そのわずかな時間の中で星になるか、あるいは宇宙のゴミとなって消えるかはその人次第。そこにスターとか一般人とかは関係ないでしょ。

だから俺が思うに、人の死って言うのは、その人が死んだ後の時間を考えるためにあるんだと思うのね。さてこれからどうっすかな、と。考えるんですよ。

そう考えるとスーパースターの死は、今を生きている自分たちに大きな課題を与えてくれたような気がするね。

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