12 恐ろしい瞳

日記専用お題 「12 恐ろしい瞳」

身の毛もよだつ緊迫感、あるいは恐怖を感じたとき、一番最初に何を思うか?と言う事を考えた事がある。今までに何度か身の毛もよだつ緊迫感や恐怖などを感じてきたが、その時は深く考える事はなかった。人間と言うのは自分が危機に瀕したとき、本当の自分が姿を現すものだ。

正反対の自分が正反対の場所で何かを叫んでいる。何を叫んでいるのかは分からない。いや、正確に言えばずっと分からなかった・・・・と言った方が正しのか。世の中に相反する二つの意味があるように、自分と言う存在も常に二つの人物によって支配されているものだ。本当は泣き虫とか、本当はしっかりしているとか・・・・。目に付くのは大概自分に取って都合の良い側面だけで、悪い側面は隅に追いやられている。出来る限り出さないように、姿を晒さないように必至になってその瞳を閉じている。だから人間関係で行き詰まったときに、酷い疲労感を感じる。何かに躓き、嫌になると、そのもう一つの瞳が開きそうになるからだ。開いてしまったら後はもう奈落の底。自分の別の側面が牙を向き、その側面に支配され、我を見失う。

お前は知っているか?

自分のもう一つの瞳がどんな瞳なのかを。

聖人君子のような人間は存在しない。人類皆兄弟。人は皆平等。正義に平和の言葉を重ねて愛を求める。そして満たされればそれを「幸福」と呼び、満たされなければ「不幸」と呼ぶ。愛を求めて愛を望む。平和を求めて光り輝く未来を描く。誰もがそう思うだろう。自分が満たされればそれで幸せだと思うのだから。

希望の側面と言うのは、ある側面が存在しない限り成立しない。ではその側面とはなにか?パンドラの箱を開けると、夥しい数の災いが飛び出して来たと言うが、最後のに残ったのは一筋の希望。希望であったからこそパンドラの箱と呼ばれるようになった。だがそれを誰もが望むのかと言えば、必ずしもそうではない。光と幻影に惑わされて見えていないだけ。更なる深みを探ってみろ、そこには必ず「血」が存在する。人を動かすのは心臓と血液。心臓が希望なら、血液は絶望。光と闇、生と死、希望と絶望。常に相反する二つの世界が連動する事で人々は成り立っている。その意味は何か?

真っ白な世界を想像して、自分だけがそこにポツンと立っている姿を想像すれば答えは見えてくる。その世界に自分は何を望むのか。

またにはその瞳を開いてみるといい。

それまで見えなかった「何かが」見えてくるかも知れないから。

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11 君と生きていく

日記専用お題 「11 君と生きていく」

もう一人の兄弟へ。

痛みは感じていないと思っていたが、そうでもないらしい。

病室で君の顔を見たとき、どうして人間はこんなにも安らかな表情になれるのだろうか?と不思議に思った。本来なら君が目を覚まさない事に嘆き、悲しむ事の方が先なのだろうけど、当時の俺はそれよりも先にそういう事を思った。

走馬灯と言う言葉がある。人間が事切れる前、あるいは親しい人が事切れたときに、その人と過した日々の思い出が蘇ると言う現象。文字通りそれは光り輝く思い出の灯りが、馬のように走り去って行く事からそう名付けられた言葉だ。あの時はどうだっただろうか、今ではもう思い出せないほど長い年月が過ぎてしまった。

今ではもうすっかり俺の方が年上だ。君はあの時のまま年齢は止まっている。脳裏に蘇る記憶と言えば、学生だった君が屈託の無い笑みを浮かべながら喋っている姿。それ以外に思い出される記憶は全てドス黒い血だけ。生暖かく、かつては君の体内で生き、君自身を動かしていた力の源。それに触れた俺の手は、未だにあの時の感触を覚えている。

昔「君が生きていたら、今の俺を見て何を言うだろう?」と考えた事がある。腐っても鯛か、なんて言われる事を期待しているのだが、本当に俺は俺のままだろうか?と疑問に思うときがある。今では失うと言う事に慣れてしまっている。でもあの時は慣れていなかった。今ではもう無敵ではなくなっている。でもあの時は何も知らない怖いもの知らずだったせいで、無敵だった。そうやって俺は年月を数えるたびに変わってきた。無慈悲で無情、自分を形容すればそんな言葉が当てはまる。

君がいたから、俺は弱くなった。

でも君がいたから、俺は強くなり

君がいたから俺は全てを憎み

君がいたから俺は全てを許せた。

人を失うと言うのはそう言う事なんだろう。何かを得るためには何かを犠牲にしなくてはならない。それを教えてくれたのが君だった。正確に言えば君の死から学んだ事だ。後に俺が激痛に耐えうるだけの力を得る結果になった、その過程とも呼べる出来事。皮肉だよ、本当に。君と出会っていなければ、俺は何も知らないままだったんだから。

10年以上が過ぎた。早いもんであの頃から10年を歳を重ねた。今俺は自分のやりたいようにやっている。いや、やれていると言った方が正しいか。でもそれによって犠牲になるものがある。

「自分勝手にやるって事は、敵を増やす事と同じだ」

これは君と出会い、そして君を失って学んだ事。

今だから思うね、確かにそうだって。自分は自分のやりたい事をするために、自分を変えずに自分をこなしてきた。主軸を自分にすると言う事は、それ以外は全て主軸外になると言うこと。勘違いされたり、誤解されたりする事が良くある。そういう事実を知って気分が凹む事もある。それでも何処か「楽しいぜ」と思えるのは、やっぱり君と出会えたからだと思う。

辛さを覚えること。そして痛みを記憶し、その後にやってくるであろう別の痛みに耐える備えをすること。失うと言う喪失感から学ぶ事は、次に訪れる絶望に対する免疫力を高める事なんだと、俺はようやく分かったよ。

だからあの日、君の安らかな顔を見た後、電車を降りて家までの道を歩いているとき、どうして涙が止まらなかったのか、その意味が今になって良く分かる。俺は君を失って悲しかったんだ。どうしようもなく悲しく、辛かった。

だから今の俺がいる。

つまりはそう言うことだろう。

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20代ラストに思うこと

今年の5月で29歳となる。そう、今年は20代最後の年。ラストを華で飾るべく、今年は例年に無いほど活動的になっているし、またオバマ氏じゃないが、全ての面に置いて「変化」を求めるようになった。今年ももう3ヶ月が過ぎようとしている。変化を求める俺の目論みは正しい判断で、この3ヶ月の間、いろいろと学ぶ事があった。自分が苦難にぶち当たったからこそ、得られたと言うものが事の他多く、もしかしたら限界を感じて、変化を求めるようになったのは、翻せば良い事だったのではないか?と思うようにまでなった。

俺はあまり過去を振り返るようなことはしない。過去とか思い出と言うのは実に優しいもので、浸っていれば懐かしく、何処か安らかな気持ちになれる。でも思い出は所詮思い出、過去は何処まで行っても過去に過ぎず「既に終った事」と言う現実まで変わるものではない。だがあえて過去の自分がどう思っていたかを紐解いてみたい。

18歳の頃、「10年後の自分はどうなっているだろうか?」と考えた事がある。その当時はきっとスーツを着て、眼鏡を掛け、立派な社会人になっているだろうなどと、現在では似ても似つかぬ想像をしていたのだが、いざ10年後の28歳、つまり今の自分を迎えてみると、当時想像していた自分とはあまりにもかけ離れている事実にぶち当たる。10年と言う歳月の中で何があったのか?と思いたくなるほど、想像していた自分の姿はカケラもない(笑)当時は今の社会に自分が向いていると思ったんだろう。あるいは「社会不適格」なんて考えもしなかったんだろう。この10年間でいろいろな出来事が起こった。その出来事が自分を良くも悪くも成長させ、結果的に自分が「社会不適格者」である事が判明し、当時想像していた自分とは別の自分が出来上がった。この事実を悲しいと思うか、良かったと思うかは人によって異なるだろうけど、俺に取っては良かったと言えるね。

何故かと言えば、つまり「想像なんて当てにならない」と言う事実を自分で立証したからだ。人間生きていれば何処で何が起こるか分からない。いくら未来を予想しても、必ずしもそう行くとは限らない。言い換えればこれから10年後もどうなるか分からないと言うことだ。既に29歳になったと仮定して、その10年後は39歳だ。想像が当てにならない以上、生きているかどうかも分からないわけでね。仮に生きていたとして、39歳となった自分は現実に対し、どのように考えているのかが非常に気になるところだ。

確かに想像は当てにならない。ただ「考え方」と言うのはその人本人の性格が大きく関わっており、性格を変えるのは容易なことじゃない。俺も10代の頃と考え方を比較してみると、考え方のスケールや捕らえ方は変化したものの、現実に対する憎しみや憎悪、反逆精神と言うものに一切の揺るぎは無い。希望や光と言ったプラスの部分はより成長して変化を遂げているのだが、反逆精神と言うマイナスの力は変わっていないことに気付く。そこで10年後、39歳となった自分は、39歳でも今のように現実に逆らうような力を持っているだろうか?さすがにこの辺は実際になってみないと分からない。だから生きようと思う。どうしても知りたいから。自分は何処まで自分の考えや思想を貫いて生きられるか、何歳まで不変を貫けるのか、その答えを身を持って知るために生きている。俺の生きる意味はそれだ。

今考えている事や思うことは、この先どのように変わるのか、あるいは変わるような事があるのか。興味深い事だよね。この俺がどう変わるのか?そうやって考えると、考えただけでニヤリと口元が歪むよ(笑)

以下は現在の考え方の一例としてあげる。

俺は無駄に長く生きるつもりは無い。ただダラダラと生きるのは俺の性分じゃないし、ダラダラになるのならいっそ自害した方がマシだと今は考えている。出来る事なら醜くなる前に死を迎える事を願っている。ここで言う「醜い」と言うのは外見のことではない。自分が自分で居られなくなったら・・・と言う意味なので勘違いしないで欲しい。自分で判断し、ものを考え、常識の範囲で行動をすることが出来ない事だ。自分はそうなってまで生きたいとは思わない。万が一植物人間になったときは、殺して欲しいし、認知症になってまで生きたいとは思わない。自分の頭がイカれてまで生きるくらいなら、いっそ自殺して地獄に落ち、未来永劫の苦しみを味わう方がよっぽどマシだ。俺には俺なりの精神世界の美学があって、それに背くつもりは毛頭無い。

俺に取って「社会的弱者」とは高齢者の事ではない。俺に取っての社会的弱者は「望みもしない不治の病を患った人たち」の事を指す。例え高齢者だろうと身体動くうちは弱者とは言わない。それ故年寄りだからどうとか、高齢者だから仕方ないと言った概念は俺には皆無だ。若かろうと年寄りだろうと、自分に取って良い環境を欲するのなら、それ相応の努力をするべきだ。何もせず、ただただ周囲が変化する事を望む人間は傲慢以外の何者でも無い。ホームレスが良い例だ。あの連中に同情などする必要はない。人によっては「成りたくて成ったのではない」と言う連中も要るだろう。だがそれは体の良い言い訳だ。「成りたくてなったのではない」と言うのなら「だったら成らないように努力しろ」と俺は言う。自分が努力を怠り、くだらんプライドにすがり付き、過去ばかり振り返っているから文無しになる。望んでいなかったのなら、どうしてそこから脱する努力をしなかった?やったって?してないさ。もし本当に真に努力していたのなら、文無しのホームレスなんて結果には絶対にならない。努力が足りないからそうなった。翻せば「全てお前のせいだ」

国が悪い、政治家が悪い。何もかも人や国のせいにするつもりか?全て国や政治家が悪いとでも思っているのか?だとしたらそう思っている連中の価値はゴミ同然だ。蟻にも及ばぬ虫ケラと同じ。何もかも人を頼り、人が人がと自分に目を向けないから悪い方へ行くんだ。何が悪いのか本当は分かっているのに、それを素直に認めようとしない。言われてそれに従うのなら、家畜同然だろう。いや、家畜は文句を言わないだけマシだ。人間の家畜の方がよっぽどタチが悪い。都合が悪くなると、自分の都合の良いように難癖付けるんだからな。

今書いたことは既に10代の頃から思っていた。あれから10年以上の歳月が経った今でも、ここであげた例だけでなく、全ての考え方に変化は無い。こういうことを思う俺はやはり変わった人種なのだろうか。自分ではそうは思わないんだがね。

長文となってしまった。

もし最後まで読んでくれた人が居るのなら感謝したい。

またもし最後まで読んでくれて、尚且つ何か思う事があれば、コメントして欲しい。どんなコメントでも俺は受け入れるよ。

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純粋なA型ではない

自分の中で二面性を感じる事が多い。まあ人は誰でも善と悪の顔を持っているので、そういう意味では誰もが二面性を持っていると言えるんだろう。ただ人によって差があるのも事実。俺の場合は自分の二面性に危機感さえ感じるほどの、強烈な面であることが最近分かりつつある。

それが分かったきっかけは先月の初頭に起こった。一体どんな事だったのかについては、あまり触れたくないので詳しくは書かないが、そのきっかけによって自分の中に、確実な二面性があると判明した。今まではその事について、いちいち考えなかったし、何より恐怖など感じなかったのだが、今回は今までとはちょっと違う。感じたのは巨大な悪の塊だった。

今年で29年目を迎える自分なのだが、29年と言う時間の中で様々なものを学び、成長してきたと思っている。これは胸を張って言える事だし、自分に取っては誇りだ。特に結婚~離婚を経験してからはかつてないほどに強くなったと思っているし、人間的にもちょっとは深みが増したかなとも思う。でも先月の件で「悪の部分は全然変化していない」と言う部分が見て取れた。

と言うよりもそれは「自分にそんな一面があったのか」と思えるほどの暴虐ぶりだった。今まではそれを抑えていたと言う事もあるとは思うのだが、まさかそれを具現化するとは自分でも想定外でね。誰でも二面性がある・・・それは分かっていた。だけどここまで側面が違う二面性だとは正直想像もしなかったのだ。「若干違うかな」程度しか思っていなかった。だからこそ「それが人間だ」と思えたし、そういうもんだと納得することが出来た。

ところが自分の二面性、その二つ目の自分がどんな姿なのかを知って以来、俺は自分に恐怖すら感じるようになった。自分でもまさかここまで暴虐な人間性だとは思っていなかった。不快感を感じた先月の件に関して、嫌だなと思うよりも「まさかそんな自分が居たとは・・・」と言う衝撃の方が大きかったなんて、笑えないね。

考えてみると俺はA型なのだが、親友はB型なのだ。本来A型とB型は「天敵」と呼ばれる関係で、親しくなる事はまず有り得ないといわれるほどの血縁関係下にある。もしかしたら親友は純粋なB型ではないかも知れない・・・・そう思って彼に聞いてみると、彼の父親はO型だった。なるほど、それでかと、納得した。でもその日の夜、意外な事実が判明した。

その夜、母親と何気ない会話の中で、亡くなった祖父の血液型の話になった。俺は性格的に母親とそっくりであり、俺をそのまま女にしたのが俺の母親になる。性格的には父親には似ても似付かず、自分は母親方の血が多いんだと幼い頃から思っていた。それでも母親はA型だし、母子手帳にはちゃんとA型と書かれている。そこで母親は意外なことを口にした。

「死んだ私の父はAB型だったのよ」

自分は母親方の血縁に近い。亡くなった祖父がAB型だと知ったとき、直感で思った。「ああ、俺はAB型に近いA型なんだろうな」と。母親も俺の発言には反論しなかった。多分俺の中にB型気質の性質がある事を見抜いていたんだろう。だから反論しなかった。それから生前の祖父の考え方や行動などを聞いて行くと、まるで自分の事を言われているほど俺とそっくりだった。一般的にAB型は全ての血液型の中で最も二面性を持っていると言われている。これで亡くなった祖父が自分と似ていなければこの結論は覆すことが可能だが、そっくりである以上、もはや疑いようが無い。

確かに言われてみれば、祖父が亡くなり、その後に祖父の話を聞いた時に「なんだか自分に一番近い人ではないか?」と思う事があった。そう言う意味では「もっと話をしておけばよかった」とか「どうして亡くなったからそう言う事に気付くんだよ」と、悔やむ気持ちもある。でも亡くなってしまった今では遅い。祖父が亡くなってからもうずいぶん経つ。来年で13回忌だったかな、確かそのくらい長い年月が経っている。それだけの時間が経過してこんな事を感じるってのも、なんだか人生だな~と思う。

不思議と亡くなった祖父に関しては今でもハッキリと顔や行動、持っている雰囲気などを明確に思い出すことが出来る。

そしてこんなエピソードがある。

今から10年ほど前、ちょうど車の免許を取るために教習所に通っていた頃の話なんだが、その日仮免許のテストを受けるために教習所へ向かっていたんだが、その途中で俺は事故に合った。事故の規模は小さくて、出会い頭に車と接触したのだが、幸いなことに相手の車の速度は10km程度だったので軽症で済んだ。その時俺は偶然亡くなった祖父の形見である腕時計をしていたのだが、事故の後、その腕時計が忽然と無くなってしまったのだ。車に轢かれてボンネットに乗り上げたときにはちゃんと腕にあった。救急車で病院に運ばれたときもちゃんと腕にあった。それはちゃんと記憶しているのだが、その後無くなってしまった。自分でも何処へ行ったのか未だに分からなくて、今も見つかっていない。

軽症で済んだのは、死んだ祖父が助けてくれたんじゃないか?その代償としてあの腕時計が犠牲になった・・・・あの腕時計をしていたから、祖父が近くにいて、あの程度の事故で済んだのではないか?そう思えてならない。

激しい二面性の差に悩む事がある。何故こうも落差があるんだと思うこともある。暴虐で残酷な一面なのだが、それでも祖父と近い「AB型に最も近いA型」であるなら、なんだか嬉しくもある。今だから思うんだろう。多分亡くなった祖父はこんな酷い世の中で「尊敬」に値する人だったのではないか?と。生前、祖父ともっと話が出来ていれば、祖父は俺に何を言ったんだろう。是非とも聞きたかった。何故かは分からないが、それは俺に取って凄く貴重な話だったように思えるから。聞けなくなった今となっては残念としか言い用が無いけど、多分そういうもんなんだろうね。大切なことだったと思う。それを聞くことが出来なかった。でもそれをずっと残念だと思うのではなく、自分で見つければそれで良い。

何となく見守られているような気がするのは

「気のせいだ」とは言いたくないね。

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不条理、理不尽、腐敗、存在しえる全ての「不」

なんなんだ、クソッタレ・・・

と、いきなり毒づくのはどうかと思うんですが(苦笑)今の素直な精神なので、そのまま書いてみました。こんばんは、ブルドック緋水です。

毒付きから始まったのには訳がある。前にもちょっと書いたが、何故だか分からないが今月は精神的に落ち着きが無いのだ。何が落ち着かないかって、不安定なんだよね。

あえて言わせて頂こう。

この俺様が不安定だとっ!!

しかも精神的に!?

今月に入ってすぐにそんな状況になり、それは今でも続いてます。これほど良くない状態と言うのは極めて稀有なもので、10年に1度あるかないかの大津波だ。そんなわけでずっと続いていて、一体何が原因なのか考えてみた。すると思い付くことがあった。

創作面での限界突破が未だ成し得ていないと言うのもあるのだが、根本的な理由は他にあった。それが自分に対する危機感の低迷。要するに今の俺にはまったく危険な要素が無いのだ。この傾向は日中の仕事が大きく影響しているらしい。今までの俺の生活は、今の仕事に就くまでは実に危険に満ちたものだった。人間関係が理由で長く続かなかったり、リストラにあったり、その時の状況によって常に「一寸先は闇」と言う危険な状況に置かれる事が多かったんです。それによって俺の精神と心には「なんとかせな!」と言う闘争心にも似た感情が溢れ、逆にそれが大きな刺激となっていたのです。

そりゃ苦しいですよ、仕事が無きゃね。だけど俺の性格上、何かを求めていたり、欲しているときの自分は実にハングリーで、言い換えれば反逆精神の多い、実に俺らしい自分で居られたわけです。勿論、仕事が無くなれば困るし、次の仕事を探すのも一苦労。しかしながら今の自分が置かれている状況、オバマさんじゃないが「変化」を求めている事を考えると、「仕事を辞める」あるいは「失う」と言う事に何故かとてつもない魅力を感じてしまう。

仕事が無くなればまた自分は変わる。どう変化するのか、その辺に興味を持っているらしい。翻せば現在の仕事にうんざりしているとも言えるがね。早い話がある程度の収入を得て、それなりの貯蓄がある。更に慣れた仕事をしている事に対し、それを「ぬるま湯」と感じるようになってしまった・・・・どうやらこれが原因らしいです。

変化を求める上で刺激は必要不可欠。刺激は危険であればあるほどその威力は高い。毎日同じ事の繰り返しだと言う事は分かっているのだが、自分の性分がそれを良しとしない部分がある。ましてや今は創作面での限界との対峙。それに打ち勝つには一度全てを「無」にしなければ打ち勝てない・・・・そんな状況も重なって、今自分が置かれているぬるま湯と化した日常に嫌気がさしているようだ。

要するに「無いものねだり」ですよね。それなんですよ、単純に言ってしまえば。今は不自由が無く、穏便に生活している。だから危険な要素が欲しくなってしまう。元々俺は攻撃的な人間だし、危険なことは大好きなんです。だから余計にぬるま湯が許せなくなる。「このままで良いのか?」とか「ずっとこの場所に居て本当に良いのか?それが自分のためか?」と自問自答する日々。かと言って今の情勢を見れば雇用の問題や経済面での危機などに直面していて、そんな中で過激な行動を取れば、それに伴うリスクも過激になってしまう。そう思うと大嫌いなぬるま湯に戻ろうとする自分がいる。そんな自分がどうにも気に入らない。「これは逃げか?」「俺は守りに入ってる?」「チャンスから目を背けているのか?」などなど、もう堂々巡りです(^^;)

不安定な理由が明確になったのは良かったんですが、そういう現実的な問題を抱えているので、いかんせん手も足も出ない状況です。こうしてまとめてみると、様々な不安要素が、自分を超えようとする気持ちの大きさを超えてしまったような感じですね。風邪引いた直後にインフルエンザに掛かったような感じですかね。

さあどうする緋水!!(笑)

ホント、「お前の進化が問われるぞ」ってヤツです。

現実的に考えて、そして今の日本の情勢を考えた上で、今仕事を辞めて、別の仕事を探すのは賢いやり方ではありません。なので、それ以外で出来る範囲の変化、刺激を求めようと思います。それでもまだ精神的に不安定ですけど。

一応頭にあるのが、昨年から考えていた一人旅ですね。「いつか一人で京都に行きたい」とずっと思っていたので、それを今年の年末辺りに実行しようかと、密かに企んでおります。一緒に行ける彼女なんかがいれば楽しいんでしょうけど、いませんからね。

この状況を打破するにはやはり行動あるのみ。どうしても頭では良からぬ事ばかり考えてしまうが、「そういう時もある」と割り切るしかないね。安定とか、そういうものが好きな人間だったらこんな事思わなかったんだろうけど、その辺は逆なんだから仕方が無い。自分でなんとかするしかないよな。幸いなことに今週の土曜は親友と会うので、いろいろ良い話が出来そうです。

それにしても参ったね。まさかこんな精神状況になるとは想像もしなかった。先月は凄くいい一ヶ月だったんだけどな~

今さら嘆いても意味無いけどな(苦笑)

自分に対して「ファック!!」(クソッタレ)と叫んでいる緋水でした。

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10 何のために戦う?

日記専用お題 「04 何のために戦う?」

勝ちたいからだろう。明確な答えはそれしかない。でも果たして何に勝ちたいのか、一体その勝利とはどんな事なのか、その辺は未だ分かっていない。ガキの頃は争いなど好まなかった。例えば人よりも頭が良くなりたいとか、スポーツで活躍したいとか、数字で競い合うような事など興味は無かった。人より勝っていようが劣っていようが、だからなんだ?と思っていたからな。

俺に取って「戦う」の意味は、外部の不特定多数の人間が対象となる戦いじゃない。それが例え誰かと良い作品を書くために競い合う事だったとしても、別段興味は抱かない。人との争いは嫌いじゃないが、面倒な事に巻き込まれるための、いわば「火種」のようなものだからどちらかと言えば好まない。それに、人に勝つ事など、その事自体になんら価値は無いと思う。

良い仕事をするとか、良い学業を得るとか、良い就職先に就職するとか、そんなもんは時間と共に風化していく歴史だ。つまり翻せばいつか終わりが来ると言うことでね。幸先の見えるものと争っても、戦っても、その結果得られるものなどたかが知れている。世界に一つだけの花ではないが、「No,1にならなくて良い。もともと特別なオンリーワン」と言うだろ?確かにそうだと思う。人との争いと言う意味では、別にNo,1になる必要は無い。

人ではない・・・・これは俺が良く使う言葉だ。人の価値観ではない、自分はどう思うんだ?と俺にはそれが最優先だと思っているし、そう思うことによって真実は得られるものだと思っている。自分がどうしたいか、つまりその対象は「自分」人ではなく自分。自分との戦い。これこそに本当の価値がある。

じゃあ何のために?と聞かれてもちょっと困ってしまう。誓った事は沢山あって、その誓いは自分で打ち立てた誓いもあれば、何かを失って得た誓いもある。自分が背負っているものは自分だけのものではなく、大切な人たちも関わっている。自分、家族、親友、そして今は亡きかつての友。彼らが俺に与えてくれたものは計り知れない。

何のために戦う?

自分のためだと思うよ。自分が背負っているものを現実で叶える事が、これまでの人生の中で失ってきたものに対する鎮魂歌になるような気がする。そして同時に自分の思いを叶える結果にも繋がる。天敵は常に己自身。自分に勝てないようじゃ、人様には勝てないさ。

そう思うね。

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09 傷 痕

日記専用お題「09 傷 痕」

もはや回復の余地が無い事は分かっている。そもそもの時点で自分は回復など望んでいないし、どうにかしようとも思っていない。今さらこの傷跡を癒そうとしても、それは過去に戻ると言う行為に繋がりかねない。仮に過去に戻る事が出来たとしても、この傷が付かぬような手段は講じないだろう。言うなれば傷が付く事を黙ってみている。確実に俺は見過ごすだろう。

トラウマなどと言う安易な言葉では始末できないものだ。トラウマだったら克服すれば良い。それだけの事だ。でも俺の心に今もずっと消えずに残っている傷跡はトラウマではない。トラウマよりももっと深い「冥府」。その傷が何かのきっかけで開くと、まるでパンドラの箱を開けたように、漆黒の闇から恐ろしい姿をした感情が飛び出してくる。そして最後に残るのは希望ではなく「破壊」の二文字。破壊して、焼き尽くした後に残るのは完全なる「無」

自傷行為のように、切り刻んだ断面から流れる漆黒の血は感情を滴る。感情から流れ出た狂気はやがて殺意に変わり、何かを壊そうとする。それが出来ないから、実行に移すわけには行かないから、別の形でそれを表現する。時としてそれが自らを切り刻む事だと分かっているにも関わらず、その傷跡が無ければもう一つの心を維持する事ができない。言葉も無く、感情も無く、温もりも優しさもない、無言劇。右手に絶望を持ち、左手で狂気を握る。憎しみで象られた刀で切り刻む。

悪夢ばかり見る。当然だろう、自分が悪夢を望んでいるのだから。毎夜毎夜同じ内容の夢。そして決って現れるもう一人の自分。あの時、血の海で見下していた犠牲は、もしかしたらもう一人の自分だったのではないか?自分の手で自分を殺した?

そんな事を思いながら目が覚める。

本当は拒絶したかった。それが出来るなら真正面から否定していただろう。でも出来なかった。否定する勇気が無くて。平穏や平和を望み、争いを嫌い、人の輪の中に入る事を望んでいた。それが出来ればどんなに楽だったか、そう思うとキリがない。でも本当にそれを望んだか?平穏、平和、争いの無い自分を本当に欲していたか?

分からない。

「望んだ」と言う事を「望みたかった」だけではないか?

前に進む一方で後ろに戻る自分がいて、強くなる自分がいながら弱くなる自分がいる。気分次第で目的が常に変わる。そういう観点から見れば、俺が望んだものは、全て一時の幸福だけだったのではないだろうか?

諸悪の根源はこの「傷跡」

決して癒える事のない、消える事のない傷跡。狂気と絶望が詰まった傷跡。もしこの傷が無かったら、俺はもっとつまらない人間だっただろう。それと同時に苦しまない人間だっただろう。でもそれを望んでいたかどうかは疑問が残る。

抑圧された空間の中で、抑圧された爆弾を作っていた。気圧の縮まった弾薬はいつ暴発してもおかしくない。今ではその弾薬は不発弾に変わったが、何かのきっかけで爆発する可能性は否定出来ない。

悲しみに涙する自分を見ながら、人を傷つけようとする自分が居る。

薄ら笑みさえ浮かべた狂人の、もう一人の自分。

でもどうしてその瞳が潤んでいるのか

俺には分からない。

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休みました。

昨日の不調が今朝になっても改善されておらず、むしろ悪化していたので今日は仕事休んで久しぶりに平日をゆっくり過ごしておりました。休日ではない、平日にまったりとするのって良いよね。忙しいご時世に「俺は休みだぜ」と言う変な優越感があると言うか(笑)

バレンタインが近いと言うことで取り上げられていたんだろうけど、新聞に最近は「逆チョコ」と言う現象が見られるらしいね。要は男が女にチョコをあげると言う形。傷付きたくなく、消極的な男が増える中で、全体的に積極的な行動をする女が増えた事による変化らしい。そう言うのってどうなんだろうね、男としては複雑だな(^^;)

携帯電話の番号を聞くときも、最近の男は「聞いて良いんだろうか?」とか「断わられたくない」とか思う事が多く、積極的に聞けないと言う。さて自分はどうだっただろうか?と思い返すと、俺の場合は違った意味で番号を聞くことは無かったなと、思う節がある。それに俺の場合、ぶっちゃけた話、自分から「番号教えて」と言った事は無い。それでも何故相手の番号やメールアドレスを知っているかと言えば相手に言わせているからである(笑)

何かの用事や待ち合わせなどがあった場合、相手のメールアドレスさえ知っていれば、相手から言わせることは実は可能なんですよ。どうやるかと言えばこっちから先に教えれば良いんです。「コレ、俺の番号です」とか「アドレスです」とか自分から先に提示する。そうすると相手も「教えられたのだからこちらも・・・」と言う心理が働く。すると相手もメールなどに自分の番号を載せて送ってくるケースが多い。何故かと言えば相手、特にその相手が女性の場合、自分が原因で用事や待ち合わせの約束が破られるのを回避したいと思うから。自分の情報を教えておけば相手から電話する事も、メールを送ることも可能。つまり何かあったとき「貴方が何もしなかったんじゃない」と言うセリフを使うことが出来る。つまり有利な位置に立てると言うわけだ。

でもこれが自分のアドレスや番号を伝えていなかった場合、こちらとしては連絡の取り用が無いので、何かあった場合「君が教えてくれなかったから」と言う事が出来る。言われたほうはもはや言い逃れは出来ない(笑)こうなると相手の女性の方は分が悪くなる。

多分、そう言う事も考えて女性は「教えられたら教えます」と言う体制を取っているのでは?と思うけどね。だから最初からこっちが教えてしまえば、相手もそれに同調するケースが多いんですよね。だから「番号教えて」ではなくて、こっちから「教えます」と断言するという、ちょっと強引な手段を取った方が功を奏すような気がするけどね。

何で男のお前がそんなこと知ってんだ?とか思ったろ。

伊達にバツイチはやってないぞ!(爆)

別れた妻には散々だったが、教えられた事もまた多かったからね。

さて、本日は良い休日でした。

本を読み、音楽を聞き、適度に昼寝もした。

明日からまた働きます。

ところで話は変わりますが

ワタクシ緋水が運営する創作サイトUnknownが今月の23日で一周年迎えます。

その事については次回の更新で詳しくお伝えします!

では!

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不 調

今年は愛車のドラッグスター400をカスタムしたいと考えていて

インターネットのオークションなどでパーツを探しているんだが

なかなか良い物は見つからないね。

ハーレーのような重低音を奏でるマフラーが欲しいのだが

状態が良くてサイレンサーも付属して、尚且つお手頃価格・・・

なんて素晴らしい条件を兼ね備えた商品なんて無いよな(^^;)

ハンドル周りも変更したいのだが、さてどうなる事やら。

そんなわけで様々な悪条件の中

本日も緋水がお送りします。

2月に入ってからどうも体調が優れない。

まあ仕事の方でいろいろと忙しいと言うのもあるんだが

やはり疲れているんだろうかね。1月よりも身体が重く感じる。

熱は無いと思うが、それでも好調ではないよな。

多分、1日でも休んでゆっくりしていれば良くなるんだろうけど。

思うに、ストレスだろう。その辺は自分でも分かる。

「だったら休めば良いじゃん」とか思われるだろうが

その辺は自分の中で葛藤があるのだ(笑)

「寝たら明日だぞ!!」と思っちまうからな。

そんなわけで最近はあまり体調が優れません。

「健康第一」

つくづく身体が資本だなと思う今日この頃です。

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08 痛みに狂う

本日二度目の更新。

日記専用お題「08 痛みに狂う」

降りしきる雨粒が窓に打ち付ける光景を見ると嫌でも思い出す。

家にある窓は外から少し距離があるため、台風でも来ない限り雨粒が打ち付けることは無い。でも例えば電車に乗っているとき、外出しているときなど、そういう光景に出くわすと必ず君の事を思い出す。

そして今でも思う。

「あの時君は俺に何を伝えようとしていたんだろう?」と。

腐敗した家庭。音を立てて崩れた生活。いつの間にか気が付けば一人だったんだろう。幼い頃からそんな環境で育てば、一般的に言うところの「まともな人生」など送れるはずが無い。あるのは憤りと苦しみ、そして巨大な孤独。肉体と精神を蝕むような痛みは、確実に君の心に侵食していたんだと、今では想像している。明確な答えは分からない。もう君はこの世には居ないから。

灰色の隔離された病棟に閉じ込められ、正方形の部屋で何を思っただろうか。あるのは小奇麗なベッドと、たった一つの窓だけだった。そんな場所に送られる前、君は俺に「身寄りが無い」と言った。同い年だと言うのに、育った環境が違うだけでこうまで差があるものなのかと、つくづく思った。でも俺がそう思うこと自体が、視点がズレていたと言えるんだろう。彼に取ってそれは普通だった。でも俺には異質だった。存在そのものが異質。言葉にしてしまえばなんとも安っぽく聞こえてしまうが、少なくとも周囲はそう思っていただろうね。

今でも良く覚えているのが「恐怖」だ。

俺は一般から隔離に君が移されたと聞いて、真っ先に浮かんだ感情がこの恐怖だった。正常ではないから隔離される事になった。つまり異常。異質。そう思ってしまったことが罪だと言うのなら俺は有罪だろう。

掻き毟られた衣類。壁に書き込まれた呪詛のような文字と言葉。擦り減った床の一部。天井まで貼り付けられた新聞紙。正常と異常の狭間で苦しんでいるからこそ、常軌を逸した行動に出るんだと、そう思わなければ俺は怖くてあの場に居られなかった。心は病んでいた。それは異様な部屋の様子からも察する事が出来る。でもなぜか目は俺と同じ目をしていた。無論、光は失ってはいたけれど、鏡を見れば眼球の潤いや輝きは同じだったはずだ。何か伝えようとしていた・・・・ように見えた。外は雨が降っていて、たった一つしかない窓に雨粒が滝のように流れていた。

もはや正常ではなくなった精神では何が言いたいのか理解に苦しむ。でもそれは周囲に居た俺が思ったことで、本人は正常と異常の狭間で戦っていたのかもしれない。戦って自分を見失っていたから奇怪な行動を取っていたのかも知れない。正常な人間の言うところの「挙動不審」と同じ意味だったかも知れない。挙動不審なら俺にだってある。もし彼の中で奇怪な行動と挙動不審が同じだとしたら、やっぱり彼は戦っていたと言う事になる。

何がそんなに痛かった?

何がそんなに苦しかった?

何がそんなに悲しかった?

もしそれらを言葉や態度で表す事が出来ていれば

また別の形の別れだったかも知れない。

時は戻らない。

君が選択した自害と言う方法論で、今君は解放されたか?

苦しみは終ったのか?悲しみは無くなったのか?

俺にはそんな疑問ばかり残っている。

あの時、何を伝えようとしていたんだ?

いくら問い掛けても、言葉は空を切る。

それを俺に伝えないまま消えてしまうなんて

やっぱり無責任だよな。

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06 残酷な嘘

日記専用お題「06 残酷な嘘」

一体何が望みだったのか、未だに分からない。勿論それはずっと分からないままで良いように思う。世の中「知らなくても良い事」は山のようにあり、知らない事で救われると言う事も極めて多い。この真実は俺も知らない。そして君も知らないだろう。自分でも何がしたかったのか、記憶が曖昧なのだ。だから今となっては「思い出す」程度の事でしかない。ただ言い換えれば「それで良かった」とも言えるだろう。

無いものをあると言うのは酷な話だ。継続できないものに対し「やるんだ」と言い張るのには勇気が要る。断言した以上続けなければならないからだ。思い返せば単なるママゴトだったんだろう。所詮その程度の愛情だった。日々の生活の中でイビツに歪んでゆく本当の気持ち。それを裏切ってまで、そして隠し続けてまで君に笑顔を向けていたのには理由があった。でも結局それも自己満足の産物でしかない。翻せば「エセ」である。この手で掴み取ったものは大きい。だからその分失ったものも大きかった。自分で構築しておいて、それを自分の手で破壊したのだから文句は言えない。一番近くにいたはずの存在でさえ、俺の深層心理にはまったく気付かなかった。

俺が何の考えも無しに切り出すと思ったのか?単純なように見えるものほど、その内部は複雑なものだ。目に見える外観と言うのは意外なほどに安易で単純。単純そうに見せる複雑な構想と言う事だろう。あの言葉は君を傷つけまいとして言った最小限の言葉。もしあの時、俺が本心で言葉を発していたら、今の君はまた別の形で過ごしている事だろう。

俺が一番守りたかったものは君ではなかったと言うことだ。あの当時俺が一番欲しかったものは君の身体。そう、欲望だ。俺は己の欲望に忠実に従った。だから何もかもを遠ざけ、さも君だけを近くに置くようにした。実は一番遠くに置いていた事は言うまでも無いだろう。近い存在は時として目障りな存在となる。それを知っていたから。身体だけを求めていた。だからどんな嘘でも平気で言うことが出来た。君を守るためではない。君を陥れるための嘘だ。

「愛してる」

俺に取ってこの言葉ほど、残酷な嘘は無い。

―――――――

こんばんは、緋水でございます。

今日も日記専用お題をお送りしたわけですが、前回の日記の件でご心配をお掛けしたようで、本当にすみません(^^;)大丈夫です、俺は元気です。ちょっとストレス溜まってますけどね。

まあいろいろありますが、焦らずやって行こうと言う結論で落ち着きました。不安要素は山のようにありますが、どん詰まりはどん詰まり。その事実を否定する事は出来ませんからね。今はいろいろと調べものをしたり、思いついた事を自分なりに研究して、それをネタ帳に書き止め記憶すると言う作業を繰り返してます。今は花が咲かなくても、いつ何処で開花するか分からないですからね。

時期にSS小説を書こうと思ってます。まだサイトにアップしていない作品が結構あるんですが、結局書く事は止められないので、スランプでも何かやってしまうんですよね。亀のようにノロい速度ですが、一歩一歩着実に前に進もうと思います。またしばらく日記専用お題にお付き合いください。

それでは!!

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不安定と活路

二日ほど間が空いてしまいました。

別に現実逃避していたわけではありませんよ(笑)まあ確かにちょっと疲れてますが、結局のところ己の力量不足が原因。自分で自分にストレスを与えているわけですからね。

昨日、久しぶりに親友と会いました。二ヶ月ぶりですか。父親の経営する喫茶店のマスターになるべく、日々悪戦苦闘している彼ですが、最近では町内会の集まりなどで酒の量が増えたそうで、前よりもおやぢっぽくなってました(笑)さすがにいやなおやぢ染まりではなかったので、その辺はやはりさすがだなと。俺としても気分転換が出来ました。勿論、全快になったというわけではありませんけどね。

今週の金曜日に仕事を休んで彼の店に行く事になりました。最近の俺の状況(例の創作に関するストレスです)について話をしたら「店に来ると良い」と言ってくれてね。店には常連さんや彼の父親であるマスターもいて話も出来るので、何か変化があるんじゃないか?と俺に気を遣ってくれたらしい。ありがたい存在ですな。彼といろいろな話をする中で分かった事がある。今俺が直面している問題、創作面での限界を突破するためには、人間を好きになると言う方法が一番効果的な結論なんだと思う。「人間嫌い」から「人間好き」へ。俺に取っては容易な事じゃないが、少なくともそう言った変化が無い限り、また同じ事を繰り返すだろう。「人間とは?」と言う親友との話しの中でそれが分かった。

興味深かったのが「人間は一人で生きているんじゃない」と言うテーマになったとき。確かにそうなんだろう、人間は一人で生きているわけじゃない・・・と思う(笑)俺にも家族がいるし、家族が自分の支えになっているのは良く分かる。仕事が終わって家に帰れば食事が出来てるし、選択もしてもらっている。これは列記とした「支え」一人ではないと言うことだ。でもそれ以外の存在ではどうかと言えば、俺は未だに「人間は一人で生きているのではない」と言うセリフに疑問を抱いている。

家族を除外すれば、俺は自分は一人で生きていると思う。そう思うに至った理由としては俺の過去が影響しているが、いつだって決断を下すのは自分だ。だからテレビなどでよく「人はいろいろな人に支えられている」と言う人間の心理が理解できない。本当にそうなんだろうか?と、思ってしまうわけですよ。子供は例え親が居なくても育つ。それと同じで人間は一人になってもやって行くんじゃないか?少なくとも俺はそうだった。ガキの頃から苦境に立たされるたびに自分は一人で決断して一人で乗り越えてきた。誰も助けてくれなかったし、助けが無いのが当然だと思って生きてきた。だからどんな時でも自分の力で解決するんだと、常にそう思ってきたんですがね。

親友曰く「人の力を借りるのも大切」と言う事らしい。見返りを期待するのではなく、何か自分に影響があるかもしれないと言う意味でね。確かにそうかも知れない。一見すると人のために思える事でも、後々自分がその経験を通して学ぶ事は大いにあるだろう。そう言うことを俺に知らせたくて、あるいは教えたくて「店に来いよ」と言ってくれたのかもな。しかし俺に取っては難しい問題だ。人間嫌いから人間好きに変化させるわけだから、そう簡単に、おいそれと行かない事は分かっている。でも話をしていて試してみると言うチャレンジは必要だと思ったね。

幸いその翌日も人と会う約束がある。妙な話だよな、創作面では苦境に立たされているが、年明け早々大吉を引いて親友にも会い、もう一人大きな影響を与えてくれる人と会う事になっている。良い部分と悪い部分が見事に一体となっているではないか(苦笑)年明け早々こんなに動きのある年の初めになるとは、考えもしなかった。

それともう一つ気付いた事がある。これは言わばポジティヴな考え方なんだが、このままのやり方では同じ事を繰り返すと、今思っているわけだが見方を変えると、そう言う事に気付く事ができたとも言えるような気がする。今まで何度か限界を感じた事はあったが、今回のように大きな波ではなかったし、その場はやり過ごす事が出来た。でも今回はちょっと違う。かつて無いほどの津波だ。そう言う意味では限界に気付いたと言う事は、気付く事に成功したと言う成長ではないか?と、思うんですよね。まあこの手の発想は身勝手な俺の前向きな性格だからこそ成す事ではあるんですが(笑)

今は何かが変わる時期。

それをありのまま受け入れようと思う。

まずは元の健康状態に戻さないとね。何事も身体が資本です。

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05 闇夜の悲鳴

日記専用お題 「05 闇夜の悲鳴」

傷口が傷むときがある。それは決って夜に訪れる。傷つけられたのがいつも夜だったせいもあって、これが昼間だったらどんなに楽だっただろうか?と考える事もよくある。いくら痛いと嘆いたところで、俺の悲鳴は誰にも届かない。俺の悲鳴は声にならないからだ。

大きな穴に頭を突っ込んで、ありったけの力を振り絞って叫ぶ。そうすればストレスは取れるだろう。でも悲しみだけは取れるものではない。どんなに時間が過ぎても、人の心には風化しない領域がある。いつまでもその景色は変わらず、止まった当時のままで色褪せる事もない。そんな場所があるから人は生きられると言う。それは漠然とした「過去の思い出」であって、人は何かに迷い、傷付いたときに過去を振り返ることが多いからだ。

しかしその思い出と言う名の過去でさえ

真っ黒だったらどうだろうな。

悲しみはまだ終らない。自分が生きる限り延々と続く。己を破滅に導く思想も、止まる事がない。例え過去の惨劇から立ち直ったとしても、「過去」と言う映像は決して消えない。

何故自分は生きる?

どうして自分が存在する?

自分が居なくなったらどうなるのだろう?

自分が死んで悲しむ人がいるだろうか?

自分は本当に必要とされているのだろうか?

あまりにも漠然とした不安と恐怖は、移り行く時間の中においてその殺傷能力を高めて行く。疑問が浮かべば浮かぶほどに、本当の自分は遠ざかる。そして遠ざかれば遠ざかるほど、その事実を認めたくなくて「過去」を思い出す。何もないと分かっていながら。

大事なものを失ったあの日

俺は自分が何のために自分と言う存在を生きているのか分からなくなった。

それは大切だった人と別れることよりもずっと過酷な事で

今までの道程すら見失いそうになった。

道の両脇に置かれた蝋燭の火が突然消えてしまうような虚無感。

そして己の力の無さを呪う、圧倒的な劣等感。

真っ暗になった道の先で待っていたのは

不敵な笑みを浮かべた過去の自分。

だからそんな弱き自分を打ち砕こうと

目の前に居たもう一人の自分をこの手に掛ける。

砕かれた感触の中にあったのは

「殺った」と言う喜びではなく

「どうして・・」と言う絶望だった。

あれからしばらくの時間が経って

また新たに絶望が生まれた。

俺は絶望している自分に絶望したんだ。

何故絶望しなければならない?

どうしてここで止まってなければならない?

絶望する意味を、今度は見失った。

見失う事が多かったのは、自分が弱かったからに他ならない。絶望に支配されたのも、自分が自分を確立できなかったから。全ての行為は全ての自分の行い。例えそれが無意識だったとしても、外に現れた現象は自分が望んだ現象。だからこそ人は叫びながらも、今と言う時間を生きなければならない。

だけど時折ふと不安が押し寄せる。

そして思う

「また何か失うかもしれない」と。

でも今は分かっている。

「失えばまた何か始まるさ」って事を。

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04 罠と罰と罪

日記専用お題「04 罠と罰と罪」

事の真相を自分の口から言う事は、俺に取って敗北を意味する。特に自分が関わっている事なら特にそう。事件の真実などとは違い、それを口にした方が負けと言う状況は、誰の人生にでもあるものだ。世の中には知らなくても良い事や、言わなくても良い事がある。俺は絶対に言わなかった。絶対に言うまいと決めていたんだ。俺が言うのではなく、君が諦めるのを待っていた。もし「あの言葉」を俺が君よりも先に言ってしまっていたら、それは間違いなく「敗北」。君が思っていた以上に、俺は君の知らない場所で、君よりも先に決心していた。そして俺がそんな事を思っている事に、君は最後まで気付かなかった。

愛していた。それは事実。翻そうがないほどの愛情を持っていた。しかし「いた」と言う過去形の言葉が入る。それは別れる前から入っていた言葉であり、君が俺に愛想を尽かすずっと前から、俺は君に愛想を尽かせていた。そこで俺は考えた。このまま行けば確実に離婚だが、突破口をどう開こうか、と。君は俺の心変わりに気付いていない。その「気付いていない」と言う行為そのものさえ、当時の俺に取っては面白いものだった。何故か?君を騙している行為がとても愉快だったからだ。だから全てを君に合わせ、都合良く接する事が出来た。もはや愛情の無くなった女でも抱く事が出来た。男に取って気持ちと身体は別物だから。俺にはそういう行為すら斜め後ろから薄ら笑いを浮かべながら眺めていた。それが離婚する4ヶ月前の事だ。

結果的に俺が下した決断は「勝利」だった。「離婚しよう」俺がそう言い出せば、間違いなく俺の敗北。それは何が何でも回避したかった。やるだけの事はやって、諦めたのは君だと、後になって自分を納得させる材料が欲しかったからだ。俺は傷付くのは恐れないが、自分の敗北だけは徹底的に恐れている。勝利するためにはひたすら待つしかなかった。君の方から「離婚しましょう」と言い出すまで、良き夫を演じなければならない。それにはやりたくないこともやらなければならない状況を生み出すことになる。いつ宣言されるか分からない途方もない時間を、ずっと耐え続けなければならない。果たして耐えられるか?自分に問い掛けた。その結果斜め後ろで自分を見ていたもう一人の自分がニヤリと笑ったのを今でも良く覚えている。

時が流れた。結果は上々。想像以上に早い時期に君は離婚を切り出した。それは俺が勝利を手にした瞬間でもあった。

離婚の原因は100%貴方にある・・・・君はそう言い切った。同感だ、その辺は否定しない。しかし君にも問題はあった。君が気付いていないだけで。俺と別れる前から、既に別の男の影を感じていた事実を、俺は最後まで君には言わなかった。知らないとでも思っていたんだろうね。今でもまさか俺が君の浮気を知っていたなんて事実、知らないままだろう。あえて言わなかった。言う価値すらなかったからだ。それに「100%貴方にある・・」と言う件、否定出来ない事実を抱えている自分もまた事実だから。君が離婚を考える4ヶ月も前から、既に俺は君に対する愛を失い、良き夫を演じているだけの気持ちだったと言う事実は、列記とした裏切り行為だ。だが勘違いしないで欲しい。俺は浮気などしていない。別の女に走ったから君へと愛を失ったわけではない。理由は他にある。自慢じゃないが、俺は今まで一度も「浮気」というものをした事が無い。これは胸を張って言える。

仕方なかった。君は過去を見て、俺は未来を見ていた。引き合う力が同じなら、両者はいつまで経っても「今」と言う時間に重なる事はない。俺は前に進みたかった。でもそれを君は許そうとしなかった。互いの過去にばかり捕らわれるあまり、事の本質を見失った。そして挙句の果てに自分を制御しきれず、他人のアドバイスを正しいと思い込み、流された結果「悪循環」が生まれた。勿論、そこまで追い込ませたのは他でもない、俺だがね。

離婚して涙など出なかった。離婚当日、住み慣れた家を出るときに感じた爽快感は今でも忘れていない。あれほど気分が晴れた経験は滅多にあるもんじゃない。

全てが自分の勝利で終ると思っていた。

しかし事はそんなに甘くは無かった。

俺が離婚して家に戻り、それから昨年の間に起こった事はここで語るつもりは無い。それはまだ言える事じゃない。時効はまだ成立してないからね(苦笑)

では何が甘くなかったかと言えば、それは俺の家族についてだ。俺は自分で勝利したと思っていた。確かに勝利だった。だが離婚と言う二文字が、俺の家族に圧力を与えていた。

俺の場合は結婚するときにちょっとした問題があって、家族の一部の人間とはあまり良い関係ではなくなっていた。勿論、実家に戻った今では問題は全て解決されたが、当時はまだ険悪だった。そしてその原因は全て俺にあった。これによって俺は母親を始め、兄弟に精神的ストレスを与えていたのだ。特に母親。母親は俺が結婚し、生活が順調だった当時、精神的ストレスが原因で帯状疱疹を患っていた。その事実を知ったのは、俺が離婚して実家に戻った後だった。離婚するまで母親が帯状疱疹を患っていたことなど、全然知らなかったと言うわけだ。

好い気になっていたんだろう。自分の事しか考えていなかった。だから俺の家族が俺の知らない場所で犠牲になっていた事に気付かなかった。この罪は極めて重い。とりわけ母親に与えてしまった理不尽な精神的ストレスは、明らかに寿命を縮めてしまったと思われる。今は帯状疱疹も治り、すっかり以前と変わらぬ元気で過ごしているが、精神的ストレスを俺が与えたと言う事実まで治るわけではない。これは否定出来ない事実。

もう俺が関係している事で人を傷つけるのはうんざりだ。

それが大事な人ならば尚の事。

だから俺は孤高に生きる事を決めた。

俺が犯した罪はまだ、償いきれていないのだから。

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せめて向こうの世界では安息を・・・

今日は二人の人間の死を知った。

一人は飯島愛さん。

個人的にかなり好きな方だった。さっぱりしている性格だったし、ブログも毎日見ていた。芸能界を引退するときも何らかの理由があったんだろうとは思うが、もはやそういった真相は闇の中となってしまった。いろいろと病んでいた部分があったんだろうなと推測している。死因はまだ分かってないが、今さら死因が明らかになったところで、もはやこの世には存在しない。「存在しない」と言う言葉はどんな真実よりも重たい。本当に「今さら」だ。悔やまれるね。どうしてこんな事になってしまったんだろう。

もう一人は高校時代の知人。

用事があってね。連絡を取ろうと思ってメールを送ったんだが返事が返って来なかった。と言うよりこっちのメールが返って来たんです。アドレスが変更になったのか、それとも使われていないのか、最初はどっちか分からなかった。急用だったんで彼を知る別の友人に連絡したところ「半年前に亡くなった」と言われた。驚いたよ。

俺が通っていた高校はちょっと普通の高校ではなかったから、在籍当時の生徒が亡くなっても、当時の友人たちに連絡が届く事はない。まあ他の高校もそうかも知れないがね。とりわけ親しくしていた分けでもなかったんだが、一時少しだけ交流があった。彼も心が病んでいてね。当時の俺よりもその病み具合は酷かった。いろいろと事情があって、好きで病んでいたわけではないのだが、その事でアドバイスをしていた時期があった。

その友人に亡くなった経緯を聞いて更に驚いた。

自殺だったからだ。

高校を卒業して一人暮らしを始めたらしいが、様々な事情があって家族とは疎遠となり、心の病も加速したらしい。部屋のカーテンレールを使って首を吊ったと言っていた。似たような時期に俺と彼は心が荒んでいたので、ちょっとした親近感を持っていたんだが、なんなんだろうな、この奇妙な感触は。「どうして?」と言う気持ちもあるが、環境一つでこうも差が出るものなのかと、つくづく思う。俺は闇の底から這い上がったが、結局彼は這い上がることが出来なかったわけだからね。この差はなんなんだろう・・・・。

彼の死さえ俺には知らされなかった。卒業して疎遠になっていたとは言え、半年も前にこの世を去っていたとは・・・・。なんともやり切れない。疑問ばかりが残ってしまう。

まさかクリスマスに訃報を聞くとは思わなかったな。

なんだろうね、人間って。

本来死にために生まれてくるわけじゃないはずなのに、心が壊れ、それが続くと死を選んでしまう。天国で安息を・・・と言いたいけど、自殺じゃ天国なんて言葉は使えないじゃないか。死を選ぶ人間はそれで良い。驚くことも無いわけだから。だけど今回のように後から自殺だと知った人間たちはそうは行かない。悲しんだり驚いたりする。少なくとも辛い気分になる。そう言うことだけは分かってて欲しかったな。

まだ28だ。人生終らすには早すぎると思わなかったのか。

でもその苦しみは分かる。心が荒廃した事のある人間にしか分からない、袋小路の絶望と苦しみ。何もかも歪んで見えたあの経験は俺も忘れていない。

訃報を知って腹が立った気持ちと悲しみの両方が一気に押し寄せて、なかなか上手い事言う事は出来ないが、一つだけ願うとしたら

「せめて向こうの世界では安息を」

そう願うしかない。

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毎日続けている事

コネタマ参加中: 「どうも、マイニチワ!」 毎日、何か続けてる?

本日連続して二度目の更新&コマネタ参戦。

俺にとって毎日続けている事と言えば、結構な数がある。

まず音楽。音楽の世界に浸ること。好きな音楽を聴いて、エネルギーを貰う。それが自分を成り立たせる要素にもなっているし、原動力だよな。俺の大好きなヘヴィ・メタルは自分を動かす栄養のようなもんだ。メタルを聴く事で強くなれると言うかね。何か嫌な事があってもメタルはそれを乗り越えようとさせてくれる力がある。好きだからこそそう思えるんだろうな。

次に読書。これはもう絶対的なもので、読まないとやってられないほど重要なものだよ。作家を目指しているから当然と言えば当然だが、やっぱり本は読まないとまずいでしょ。読んだ事で表現力が増す。

言葉で相手に何かを伝えようとするとき「言葉にするのは難しいんだけど・・・」って良く使う人がいるけど、本を読み続けているとこの言葉を使う回数が劇的に減る。それだけ表現力が増すんだろうね。定められたストーリーの中で動くキャラに自分の投影させ、その世界観に入り込む。言い換えれば一時の冒険のような感じもあるけど、その冒険こそが多大なインスピレーションを与えてくれる。同時にメンタル的にも落ち着くしな。絶対に欠かす事の出来ないものだね。

後はやっぱり「妄想」だろうな。創作もその一つだ。

言葉と文章に常に向き合っているからいろいろな事を考えては妄想する。

時にはあらぬ事まで(笑)

よく「最近の若い人たちは想像力が足りない」とか言われるよな。俺はそう言うことを言う大人も想像力が足りないのでは?と思っていた。勿論、それもある。しかし、最近起こる事件などを見ていると、もはや大人子供関係なく、世代を跨いで想像力が欠落している連中が多いような気がするけどね。でなきゃバカな事を理由に人を殺すなんて起こるはずが無い。先のことまで考えずに行動する傾向が強い。

でも今はそういう世の中なんだろうな。自分の事ですらまともにコントロール出来ない世の中。それ故制御する事が出来ずに暴発する。些細な起爆剤でね。

嫌な世の中だな、まったく┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~

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